昔の資料をひっくり返して、まじまじと見ていると、
当時学生の頃の作品が出てきました。東孝光の塔の家のスケッチ..
磯崎の北九州市立美術館... ミースのファンズワース邸...
入学当初の右も左もわからない頃のスケッチ集。
篠原のから傘の住宅のディテールのスケッチ...
高松の織陣やARK歯科医院など、なつかしい当時の景色でいっぱいです。
当時の高松のドローイングは今見てもすごいですね。彼の論文も、結界や沸点など、
宗教用語に物理学、量子力学の分野にも及ぶ独特の文体で、
建築を語るそのスタイルは、とっちが作品かわからないくらいの
インパクトがありました。
特に、影響をうけた、東孝光の作品からは、都市に住むという強い決意...
スリットを中心とする都市とのコミュニケーションのあり方など、ある意味、安藤の
住吉の長屋よりも強い衝撃を受けた記憶があります。
初期の課題で、高松伸に、図面が曲がっとる、性格歪んどんのとちやうか?と、
冗談で交わした些細な記憶まで、思い出します。
地域や都市、自然とのコミュニケーションのあり方は、
当時から重要なコンセプトの一つでもありましたが、
インターネットやSNSの普及など、
今や、建築や都市との関係性だけで完結できる世界など
存在するわけもなく、
若者が、外部とのコミュニケーションを閉ざした、バーチャルな世界に
閉じこもるのもよくわかります。
異性との出逢いがないという男女は、若年層ほど多く、
男は、パーチャルに、女性は、バブルからマスコミで造り上げられた、
虚構の都市で、あたかもトレンデイードラマの主人公のごとく、
自身の価値のレートを下げられずにいます。
婚活は、このギャップを是正して、
自身の適正レートをもう一度見直し、活動する事を求められます。
時代が変わって、コミュニケーションの方法が変わっても、そこにある生の生活や
生きるという現実は、何ら変わらないと私は感じるのですが...
マニアックな話ですみません。
コミュニケーションこそ出逢いと恋愛のキッカケ
当時学生の頃の作品が出てきました。東孝光の塔の家のスケッチ..
磯崎の北九州市立美術館... ミースのファンズワース邸...
入学当初の右も左もわからない頃のスケッチ集。
篠原のから傘の住宅のディテールのスケッチ...
高松の織陣やARK歯科医院など、なつかしい当時の景色でいっぱいです。
当時の高松のドローイングは今見てもすごいですね。彼の論文も、結界や沸点など、
宗教用語に物理学、量子力学の分野にも及ぶ独特の文体で、
建築を語るそのスタイルは、とっちが作品かわからないくらいの
インパクトがありました。
特に、影響をうけた、東孝光の作品からは、都市に住むという強い決意...
スリットを中心とする都市とのコミュニケーションのあり方など、ある意味、安藤の
住吉の長屋よりも強い衝撃を受けた記憶があります。
初期の課題で、高松伸に、図面が曲がっとる、性格歪んどんのとちやうか?と、
冗談で交わした些細な記憶まで、思い出します。
地域や都市、自然とのコミュニケーションのあり方は、
当時から重要なコンセプトの一つでもありましたが、
インターネットやSNSの普及など、
今や、建築や都市との関係性だけで完結できる世界など
存在するわけもなく、
若者が、外部とのコミュニケーションを閉ざした、バーチャルな世界に
閉じこもるのもよくわかります。
異性との出逢いがないという男女は、若年層ほど多く、
男は、パーチャルに、女性は、バブルからマスコミで造り上げられた、
虚構の都市で、あたかもトレンデイードラマの主人公のごとく、
自身の価値のレートを下げられずにいます。
婚活は、このギャップを是正して、
自身の適正レートをもう一度見直し、活動する事を求められます。
時代が変わって、コミュニケーションの方法が変わっても、そこにある生の生活や
生きるという現実は、何ら変わらないと私は感じるのですが...
マニアックな話ですみません。
コミュニケーションこそ出逢いと恋愛のキッカケ
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